前橋商業高校時代、1学年後輩の服部浩紀らと高校選手権でベスト4に進出し、1989年に日本サッカーリーグ(JSL)1部のチームがあるNKKに入社。その後、NKKを退社し、トヨタ自動車に入社。レギュラーとしてJSL、天皇杯などに出場した。
1992年のJリーグ創設に伴い、請われて名古屋グランパスエイトに入団。得意のスルーパスとミドルシュート、そして臨機応変なプレースタイルが買われ、中西哲生や小倉隆史らとともにチームの中心選手となった。1996年、セレッソ大阪に移籍後もレギュラーを務めた。現役引退後は指導者の道へと進む。